一週間の恋

 

 暑い夏の午後、さすがにこんな日に昼間からくっついているほど馬鹿じゃない。
 おとなしく本を読んだり昼寝をしたり、そんな事をしながら過ごす。
 去年ほど暑い訳ではないがやはり夏は暑いものだ。
 だがさすがの暑さに私もため息をつく。気分転換にお茶でも、と思ったがこの暑い中お茶を飲むのもどうかと思った。
 本を閉じしばらく考えていたが、私は昨日見つけたものを思い出して席を立った。
「ソル、氷食べる?」
「あ?」
 一人長いすを占領する男は顔を上げるもの面倒だと言った顔でこちらを見た。
「かき氷、作ろうか?」
「急になんだ?」
「昨日納戸の片づけをしていたら誰かからのもらい物であったんだ。氷はあるからすぐ作れるよ」
「氷か・・・・あんまり好きじゃねえんだが、さすがにこうも暑いとな」
 氷が好きではない、と言うのがなんとなくソルらしく私は一人で笑った。
「わかった、シロップかける?」
「当然リキュールなんだろ?」
「昼間っから?」
「じゃあシャンパン」
「それもお酒」
「・・・・俺に甘ったるいお子様氷を食べさせるつもりかよ」
「別に昨日の残りのビシソワーズや缶詰のコンソメスープかけてもいいんだけど」
「・・・・アイスコーヒー、ガムシロ抜きで」
「わかった」
 それは果たしてかき氷と言える物なのかどうか私にはわからない。
 とりあえず私は一人涼を求めてキッチンへ向かった。キッチンの片隅に置かれているそれは昨日たまたま見つけた物だ。誰が贈ったのかはわからないが正直最初これがなんなのかわからなかった。
 一応本で見たことのある生き物なのはわかった。可愛らしくデフォルメされていてよくわからなかったが多分それで間違いないと思う。
 頭頂部にハンドルがつけられているそれは全身を青く塗られ黄色いくちばしがついていた。身体の横にある小さな手のような物と土台の部分についている黄色い脚ひれのような物から私はこれをある動物の形をしていると判断した。
 すなわちペンギン。
 本当はこんなにずんぐりしている訳ではないのだろうが、子供に描かせるとこんな風になるだろう。説明書を見てようやく何かがわかり、氷の支度をしているときにあいつが来た。いつもの事、といえばいつもの事だ。
 氷はすぐにはできないのでそのままにしてある。さすがにもうできてるだろう。
「さてと氷を削って・・・・ガラスの器に盛って・・・・」
 氷をかく作業は多少疲れるが、それでもこれから食べるその冷ややかな快感を思えば苦にもならない。しばらくキッチンは氷を削る音だけになり、やがて完成したフラッペを手に私はリビングに戻った。
「ソル、できたよ」
 ちゃんと指定通りソルの分はアイスコーヒー、私の方は料理用に買って余ったフルーツのシロップをたっぷりかけてある。
「おう、できたか」
 一人のんきに待っているこの男の少し腹も立ったが氷を目の前に熱くなっても仕方がない。
「はいどうぞ」
 氷は苦手そうなわりにはどこか嬉しそうにあいつは氷を受け取った。私も自分の分を手にしスプーンを刺した。金属を伝わる氷の感触に一人満足しそれを口へ運ぶ。
 氷が口の中で溶けていく。ただのシロップになる前に次の氷を口へ。
「んん〜冷たい」
 この暑さにこの氷だ。思わず声も漏れてしまう。
「夏って感じだな」
「そうだね」
 しばらく黙々と食べていたが私は小さくうなった。別に沈黙を破りたかった訳ではない。
「くう〜頭痛くなってきた」
「それも夏の名物だな」
「どうして冷たい物を食べると頭痛くなるんだろう」
 キーンと来る独特の痛みに額を押さえながら私は氷を食べる手を止めた。
「口の中が冷やされてその近くを走る三叉神経が刺激を受けて起こるんだ。熱い茶でも飲めばすぐ治る」
「そ、そうなんだ」
 まさかまともな答えが返ってくるとは思わなかった私はただ納得するしかない。
「まあそんな冷たい物一気にとったら身体おかしくなるからな、手を止めるのにちょうどいいだろ」
「便利なんだね、人間の身体って」
「ちなみに」
 ソルはまだ薀蓄を語りたいのか話を続けた。
「この頭痛はアイスクリーム頭痛と呼ぶ、そう名づけたのはアメリカ人らしい」
「そ、そう・・・・」
 何故ソルがこんなに喋るのか不思議でならなかった。
「氷食べてもアイスクリーム頭痛?」
「冷たい物食べて起こる頭痛は全部そう呼ぶ」
「大雑把だな」
「いちいち呼びわけても面倒だろう」
「それもそうだね」
 痛みが引いたところで私はもう一度氷を食べ始めた。そして気付いたのだ、ソルが何故あんなに長々と喋っていたのかに。
「ソル、あんまり氷減ってないけど・・・・もしかして頭痛いの?」
「・・・・少しな」
「熱いコーヒー入れようか?」
「いや、いらねえ」
 それでもコーヒー色の氷の山を突つくだけでソルは口に運ぼうとはしなかった。
「苦手なら無理しなくていいのに・・・・」
「うるせえ」
 私は氷が氷であるうちに食べ終えたが、ソルはほとんど氷が溶けて薄まったアイスコーヒーを一気に流し込んでいた。それでも飲んだ後に暗い顔で頭を押さえていた。
「しらなかったなあ」
「何が」
「ソルが氷苦手なんて」
 そういうとソルはむっとしたような顔で私の方をねめつけた。
「別に苦手っていうか・・・・ともかく、アレは氷盛り過ぎだ」
「私の所為?」
「そう思わないとやってられない」
 身体の反射なのだから仕方ない事かもしれないが、何も私の所為にしなくてもいいと思う。
「まあともかく、おかげで大分身体が冷えたな」
「そうだね」
 器を片付けようとソファから立ち上がり、ソルの前の空の器に手を伸ばした時、その手を掴まれた。
「後でいいだろ」
「・・・・そうだね」
 私はおとなしくソルの隣に腰を下ろした。
 穏やかな夏の午後、何をする訳でもなくただぼんやりと過ごすだけの、けだるい午後。
 このままなんにもしないまま、日が暮れてしまうのかもしれない、ソルの肩にもたれながらそんな事を思った。幾分身体は冷えたとは言えまだ気温は高い。これから少しずつ涼しくなっていくのだろうがまだずっと先の事のような気がした。
 このまま昼寝でもしてしまおうかと目を閉じた時、夏の静けさは聞き慣れない音に破られた。
 羽音に似ていたが私の知っている生き物の羽音とは少し違っている気がした。
「なんだろう?」
 渇いた羽音は窓の辺りから聞こえてきた。小さな黒いものがレースのカーテンに引っかかっているらしくバタバタと動いていた。
「うっせえな」
 先に立ち上がったのはソルだった。すたすたと窓辺に行き、そのカーテンに絡まっている物を引っぺがした。
「・・・・なんだ、蝉か」
 カーテンを開け窓から投げようとしたソルを私は慌てて引きとめた。
「待って」
「なんだ?」
「それ・・・・本当にセミ?」
「あ?」
 私の質問をどう取ったのか、あいつはセミを手にこちらへ戻ってきた。
「ほれ、どう見たってただの蝉だろう」
 私にかざされたその昆虫は翅と身体を押さえられ、六本の脚をわしわしと動かしていた。
「・・・・すごい、パリにセミが来るなんて」
「は?」
 ソルは要領を得ないと言った顔で私を見つめた。
「パリ・・・・というかフランスにはあんまりセミがいなくてね、プロヴァンスの方にしかいないんだ。私も向こうでセミの声は聞いたことあるけど、あんまり実物は見たことないんだ」
「蝉なんて世界中にいると思ってたけどな、戦争中であちこち行ったときに聞かなかったか?」
「聞いたかもしれないけど、それがセミの声だなんてわからないし」
「・・・・まあそうだな」
 納得したような返事だったがソルは私の反応が不思議らしく首をかしげている。
「あ、口に針ついてるけど刺したりしない?」
 ソルの手の中のセミを見つめながら、伸ばした手を引っ込めた。
「大丈夫だ、これは人を刺すための針じゃない」
「そうなんだ」
 そして私はゆっくり手を伸ばし、そのセミを受け取った。
「暴れるからな、しっかり押さえておけよ」
 と、ソルが言う前にセミは私の手の中でその羽根をはばたかせた。
「うわ、わあ」
「落ち付け」
「ソルはセミ怖くないの?」
「たかが蝉だろ?それにアメリカじゃあ17年周期で大発生する蝉がいるから別に珍しいもんでもねえ」
 ようやく手の中でおとなしくなったセミを眺めながら、私はソルの話に耳を傾けた。
「17年周期?」
「凄いぞ、その辺の木や道路や家の壁が蝉で埋め尽くされるんだ。蝉の大発生がわかっている年やその前の年は若木を植えないようにするってくらい大量な」
 小さな若木はセミに襲われて枯れてしまうと言うことなのだろうか。
「・・・・す、凄いんだね」
 フランス人にとっては南仏の夏の象徴もアメリカではある種の自然災害らしい。
「しかもまあサイレンみたいな鳴き声だから眠れやしねえ」
「そ、そうなんだ・・・・」
 そう聞いて、私は手の中のセミをみつめた。
「このセミ、鳴かないね」
「あ?メスだろ、それ。鳴くのはオスだけ、メスを誘う為に歌い続けるんだ」
「へえ、知らなかった」
 しばらくセミを眺めていたが、私は興味が湧いてソルに聞いてみる事にした。それだけセミが発生するのなら知っているかもしれない。
「ソル、セミって何を食べるの?」
「は?」
「このセミ、飼ってみたいんだけど」
「やめとけ」
 そう言ってソルは少しだけ寂しそうな顔をした。
「蝉の寿命は長くて一週間。大事に育てたところですぐに死ぬ」
「・・・・そうなんだ・・・・」
 私はセミがそれほど短命な事を知らなかった。
「蝉の幼虫っていうのはな、十年近く地中で暮らしてるんだ。何年も地面の下にいて蝉として地上に出てきたら後は歌って死ぬだけなんだ」
「・・・・知らなかった・・・・夏の間ずっと歌ってるものだと思ってた」
 夏の象徴と呼ばれる割りには随分と儚いものだと思った。私達にとって毎年来る夏、暑くて長い夏もこのセミたちがいられるのはほんの一瞬だけなのだ。
「そのたった一週間で交尾して卵を生んで死ぬ。蝉にとって地上へ出る事は死にに行くことと同じだ」
 そんな大事なセミの夏をこの手の中に留めておく事に罪悪感を感じた。
「じゃあこのセミも逃がしてあげた方がいいよね」
「ああ」
 私は窓辺に行き、セミを放した。セミはすぐさま手から離れ、夏の青い空に向かって飛んでいった。
「セミってそんなに地下生活長いの?」
 セミの消えた空を見つめながら私はそんな事を聞いていた。
「ああ、ずっと地下にいる。さっき話した17年周期の蝉は17年間地下にいる。昆虫としてはかなり長い一生だ」
「そうなんだ」
「だが出てきたら一週間だ」
 ソルの語気が少しだけ荒いのは気の所為だろうか。
「・・・・あっという間に、死んでいく」
 背中に声を感じ振り返るとソルが背後に立っていた。
「でもきっとセミは死ににいくなんて思ってないよ」
「そんな知能はねえよ」
「そうじゃなくてさ。セミって詩人の象徴なんだ。たった一週間の命でも誰かを思って恋歌を歌い続けて・・・・きっと彼らは恋をするために地上に出て来るんだよ」
 我ながらロマンチストだなと思い、ソルにからかわれるかとも思ったが。
「そうだな・・・・多分そうなんだろうよ」
 意外な答えに私はソルの顔を見た。
 ソルは無表情に窓の外の青い空を見つめていた。
「・・・・聞こえるか?」
「何が?」
「蝉の声だ」
 だがどれほど耳をすましても私の耳には聞こえなかった。
「・・・・さっきのセミを呼んでいるのかもしれないね」
「多分、な」
 ふいに抱きしめた腕に驚きはしたが私はその腕に素直に身を委ねた。
 一週間しか生きられないセミ、長い長い地下生活から解放されて自由な空を飛びながら一週間の恋をするだけのセミ。それでも私はセミを哀れだとは思わなかった。
「また数年後に、セミの声が聞こえるといいね」
「ああ」
 その時、隣にいるのは誰だろう。
 そんな事を思いながら、私は静かな夏の日を胸に刻み付けたのだった。

 

 

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